地域をめぐる政治的無意識。

地域創造学部における私の役割の続きです。



地域をめぐる政治的無意識



これを明らかにすること。
これではないでしょうか?



「地域」は存在しない。
存在するのは、ただ「地域」の社会的解釈のみ。



これが地域をめぐる政治的無意識のテーゼです。



もう少し分かりやすく言うと、
奈良を事例として言えば、
「奈良は歴史や文化にめぐまれて・・・」とか
「奈良は京都と比べても観光地としてすばらしい・・・」とか
「奈良はこれからどんどん発展していく地域で・・・」とか
そういった「奈良」を主語とした言辞が、
数え切れないくらいに発せられます。
実際、私もこれまで講演などのたびに、
そうした言辞を発してきたのですが、
しかし、「奈良」という、実体としての地域など
どこにも存在しないのではないでしょうか。
そこにあるのは「奈良」をめぐってせめぎ合う解釈、
そこから発せられた言説群、
ただそれだけではないでしょうか。

「奈良は歴史や文化にめぐまれて・・・」
と言うときの「奈良」は、
ある何らかの社会性・歴史性・政治性を帯びながら
「解釈された奈良」に他なりません。
そして、そうした解釈の背後には、
他の解釈よりも、その解釈を浮きあがらせようとする
何らかの政治的無意識が機能しているはずです。
それを明らかにすることが、
私の役割のような気がしてきました。



地域創造をめぐる言説も単一ではありません。
その言説には、さまざまな解釈がせめぎ合っています。
それらの政治的無意識を弁証していくこと、
これが重要なのではないでしょうか?



政治的無意識 社会的象徴行為としての物語 (平凡社ライブラリー)

政治的無意識 社会的象徴行為としての物語 (平凡社ライブラリー)