う〜む。「あえて」か...。
『波状言論S改―社会学・メタゲーム・自由』を
読んでいて、少し気になったこと。
宮台真司さんの発言で、
「あえて」という言葉を多用されておられたのが
気になりました。
もちろん宮台さんの言う「真理の言葉」を
ベタに信じているわけではありません。
「あえて」でも別にいいんだけれどね。
だから「機能の言葉」ということもよく分かります。
でもね。
「私が言っているのは、『あえて』なんですよ」
と<発言>しちゃダメですよ。
だって、それは結局、
「今私が言っていることはベタに信じたらダメですよ」と、
メタレベルで言ってしまうことになるんじゃないかな?
宮台さんは、そのことについては、
じっと黙っているべきだったのでは...。
自分の基盤を覆しかねないことまで
しゃべり過ぎていると思います。
それこそ効果を考えながら、
沈黙すべきときには、
沈黙する必要があるのではないかと思うのですが、
まあ、でも、そういうこと言いながら、
自分だってできるわけじゃないんだけれど...。
<沈黙>の効果をもっと考えるべきでは?