越境せよ!

研究において学問領域を越境するのは、
結果的にそうなるのであって、
最初から「脱領域」を目指すべきではない、
「脱領域」とはそれ自体が目的ではないという意見を
最近たまに目にするようになりました。



最初、そうした文章を読んだときには、
「その通り!!!」
と思ったものですが、
近頃、「本当にそうか?」と思うようになりました。



はじめから既存の学問領域の越境を目指すこと、
そのことには、重要な意味があるのではないでしょうか?



そのことによって、既存の学問領域そのものを自明視することなく、
みずからの研究の存在証明(raison d'être)をただひとえに、


リアルを切り裂くこと


だけに求めざるを得なくなります。
そうした自覚を持つことができるだけでも、
「脱領域」たることを最初から目指す意味はあります。
「結果的にそうなるだけだ」なんて言っていたら、
小さくまとまってしまうだけですよ。
最初から越境することを覚悟しておかないと。



もちろん、既存の学問領域に対する敬意は大切です。
私自身、人並み以上に、その敬意は持っていると
自分で思っています。
しかし、いや、だからこそ、
「脱領域」たることを最初から目指し、
みずからの学問の存在証明を「リアルを切り裂く」ことだけに求め、
既存の学問領域を超えていく必要があると思うのです。


尊敬とは相手(研究における師や既存の学問)に対して
無自覚に従うことではありません。
尊敬とは、相手(研究における師や既存の学問)を
深く自分に内在化させ、
超えていく行為のことを言います。



と言っている間に、
ものもらいを早く治さないと...。