才能とは「こだわりに対するしつこさ」です。

3回生ゼミでは現在、
それぞれの今好きなこと、考えたいことについて
調べてきてもらい、自分の意見をまじえながら
発表してもらっています。


みんな、なかなか面白いことを
発表してくれています。


パンク・ロック
大学生の食生活
プロ野球選手・新庄
CD、DVDといったメディア
お笑い
色彩
・・・・・


これらについて、
それぞれが個性的な発表をしてくれています。


こんなことを調べて何になるの?
それが大学のゼミでやることなの?


そんなことをたまにおっしゃる人がいますが、
その方は大きな勘違いをされておられます。



とくに学部レベルのゼミで、
学問として必要なことは、


自分のこだわりを見つける
そのこだわりにしがみついて、
しつこく考え抜く


ということです。


大学院時代の先生のお一人は、
これを「やかんのふた」という比喩でおっしゃっておられました。
沸騰するやかんのふたが、
がたがたっといって、
お湯があふれてくるように、
こだわりが沸点に達するまで、
こだわりを離さないで、
あきらめないことが大切です。


才能とは、そういうものだと思うのです。


才能とは、もともと存在しているものではありません。
(そういう人もいるかもしれませんが)
そうではなく、
吉見俊哉さんもおっしゃっていたと思うのですが、
才能とは「こだわりに対するしつこさ」
ただその一点です。
とくに学問ではそうだと言って良いでしょう。


研究する意味

研究する意味


学問はおもしろい―“知の人生”へどう出発したか (講談社選書メチエ)

学問はおもしろい―“知の人生”へどう出発したか (講談社選書メチエ)


テクニカルタームや論文の書き方、
学術的な論理展開などは、
教えることで何とかなりますが、
自分のこだわりだけは教えることはできません。
それは自分で見つけるしかしようがないのです。


そして、そのこだわりにしがみついて考え抜く中で、
テクニカルタームや論文の書き方、
学術的な論理展開などが武器として、
光ってくるのです。


学問の面白さ、楽しさは、
そういうことではじめて、
理解できるのではないでしょうか?


私の大学院時代の友人が言ってくれたのですが、
学問とは遊び
なのです。
遊びはぐだぐだでいい加減では、まったく面白くありません。
遊びは無茶苦茶、真剣なのです。
でも楽しい、それが遊びですね。


私は自分のゼミ生に、
学問の面白さ、楽しさを本当の意味で、
知ってもらいたいのです。


それは、私が教えるものではありません。
それは、自らが見つけるものなのです。


私のゼミでは毎年、
自分のこだわりについて
楽しみながら卒論を書いてくれています。
それは、学術レベルとしては、
プロの領域ではもちろんないけれど、
でも彼らが真剣に取り組んだマジな遊びだったはずです。