幻想とリアルのアンビバレンス。

最近ずっと考え続けている社会構想として、


幻想とリアルのアンビバレンス


があります。



観光を含め、
アニメ、マンガ、音楽など
現代文化は幻想を私たちにもたらします。


ディズニーランドでは夢、
ディズニーアニメでは空想、
ロックンロールでは悦楽、
そうしたものに私たちは浸ることができます。



そういう意味で、
現代文化は幻想を生みだす
社会的な装置になっていると言えるでしょう。
私たちは、そうした幻想がなくては生きていけません。
幻想のないリアルな世界は、
無限に続く砂漠のように、
とてつもなくむなしいでしょう。



しかし他方で現代文化は、
私たちがリアルから目をそらす、
麻薬のようになるときもあります。



そうしたとき幻想を切り裂くリアルを
ふと垣間見せてくれるのは、やはりまた、
これも現代文化なのです。
ただ、そうしたリアルはあくまで
幻想とつねにセットになっています。



だから私たちは「幻想かリアルか」、
どちらかに着地してしまうのではなく、
「幻想とリアルのはざま」で
つねにその緊張関係のなかで、
私たちそのものを形成している
現代文化を紡いでいく、
そうした力強さを必要とするのです。



だから私の現在の社会構想は、
ドゥルーズ風に言えば、こうなります。


千のプラトー―資本主義と分裂症

千のプラトー―資本主義と分裂症


幻想とリアルのアンビバレンスにおいて、つねに疾走せよ!
パワフルに加速しつつ、ときには、たおやかに。