「答え」と「人生の彩り」。

本務校の授業アンケートが返却されてきました。
本学のアンケートは記述式がほとんどのものですが、
ほぼ全員の学生さんから「とても面白かった」
「興味がある身近なところから始まり
深いところまで内容をもっていくのが良かった」等、
とても良い評価を頂きました。



そういう評価をしてくれた学生さんの中に、
「でも何が答えで結論なのか、はっきりしない」と
書いていた人もいました。


これ、とても大事な問題なので少しお答えしておきたいと思います。
大学の講義において「結論」や「答え」は自分でつくるのです。


しかも「私」ではなく、「みなさん一人一人」が、
「見つける」のでもなく、「つくる」のです。


「結論」や「答え」がどこかに存在していて、
それらが、あなたたちに見つけられるべく、
待っているのでは決してありません。


「答え」なんて実は「存在」しないのです。
それは自分自身が「創る」ものなのです。
いや、そういう創りだそうとする「行為そのもの」が、
「答え」になっていくのかもしれません。



私自身もそうです。
私自身も、これで決まり、終了という
「結論」や「答え」を
持っているわけではありません。
もし「持っている」という大学教員がいたら、
その人は「バチモン」です。
(私はそんな先生に出会ったことがありません)


いつも、「結論」や「答え」は変化し生成し続けています。
自分自身が生きていく中で、「結論」や「答え」は創り替えられていくのです。
自分なりに「答え」を創ろうとする「行為」が集まって、
自分の人生が彩られているのです。


むしろ、そういう状態こそ普通で、
高校のときまでの「答えがある」状態は、
行政や研究機関、学校などが<一定の考え方>のもとに、
一応、これを社会的には「子ども達に対する答え」としておこうか
という程度のものでしかないのです。



「完成した知識を伝達する」のではなく、
「答え」をめぐる教員自身による「真剣な取り組みを伝え」、
それらを「学生さんへと交響させる」よう努め、
「学生さんが自らの彩りを創る助けとなる」ために、
講義はあるのです。



というわけで(どういうわけで?)
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