「時代の言葉」と「世代の言葉」。

「時代の言葉」と「世代の言葉」の二つは、
よく似ていますが、
実はかなり違っているものです。



「世代の言葉」は、同じ世代の人同士が通じるような言葉です。
10代、20代、30代、40代と、
世代ごとに通じるような言葉、
それが「世代の言葉」です。


「40代の研究者たちは、・・・を考えている」
「でも30代の研究者たちは明らかに違う問題意識を抱えつつある」
「そこにコミュニケーション・ギャップが生まれる」
そんな言い方をするのが「世代の言葉」です。


私はこうした「世代の言葉」が好きではありません。
どちらかと言うと、そんな言葉を聞いたときには、
「なめんてんじゃねえぞ!」とか
「ふざんけんじゃねえ!」とか思います。


だから若者論というものでも、
若者論そのものではなく、
若者論の中にひそんでいる時代性こそが
大切ではないかと思うたちです。



それに対して「時代の言葉」とはどんなものでしょう?



これは、どのような世代の人であろうと、
世代に関係なく、
その都度、時代に内在し、時代の中でもがき、
時代を超えようとしながら、それでもその時代を愛そうとする、
そうした人たちが発する言葉です。


80代、90代であっても、
「時代の言葉」を表現しようとする人はいます。
逆に20代、30代であっても
時代の中でもがくことをやめた老成してしまった人もいます。


私はその意味で、
つねにこれからも
「時代の言葉」を発信し続けたいと思います。


「僕たちは時代の子だ」と言ったのは
確か哲学者ヘーゲルだった気がしますが、
私は「世代の子」ではなく、「時代の子」で居続けたい。