地域創造学が確立していないって?当たり前でしょ!

地域創造学はまだ確立していない学問、って
そんなの当たり前じゃないか!


いや地域創造学だけじゃなくて、
社会学、経済学、政治学経営学商学...、
それら学問という学問は、
すべて確立なんてしていませんよ。


逆に確立なんかしたら終わりじゃないの?



学問というのは常にプロセスなんだよ。


「つねに道なかば」
学問において、これを忘れたらおしまいですよ。



だから地域創造学がまだ確立していないということを理由に、
地域創造学とはあまり信頼できない学問だ
という方の物言いは、
その方ご自身が学問を分かっておられないことを
表しているに過ぎませんよ。



「じゃあ、地域創造学とは何なのか言ってみろ」って、
もうすでに私はたくさんの機会で言ったり、
いろいろ書いたりしているので、
そちらを参照して下さいと思いますし
(たとえば『地域創造への招待』の「まえがき」)
それに、そうした言い方は批判でも何でもありませんよと
言いたかったときがありました。



地域創造への招待

地域創造への招待



批判(critic)とは、自分の身も切られることを覚悟して、
批判の対象と切り結ぶことで、
そのスパークから新たにポジティブなものを創り出す行為に他ならない。
新たにポジティブなものを自分自身で創造する責任を負うものです。
その際には、当然、批判した対象に対する何らかのリスペクトに支えられているべきです。




そうした批判(critic)は大学においてとても大事です。
それがなくなったら、大学ではありません
(だからこそ奈良県立大学では
地域創造学研究』というジャーナルもあるのです。
ですからYas先生はじめ、
これを発刊された方々にはとても敬意を抱きます)。


しかし、そうじゃないものは、批判ではなく、
単なる泣き言であったり、うらみ言であったり、
中傷であったり、文句であったりするに過ぎません。
もちろんインフォーマルに友だち同士で、
そうした泣き言などを言い合える場は大切ですが、
それが批判でも何でもないことには
私自身も含めて、注意しておくべきではないでしょうか?




最近、ご恵投頂いた本です。



環境と差別のクリティーク―屠場・「不法占拠」・部落差別 (関西学院大学研究叢書 第 126編)

環境と差別のクリティーク―屠場・「不法占拠」・部落差別 (関西学院大学研究叢書 第 126編)


追憶する社会―神と死霊の表象史 (関西学院大学研究叢書)

追憶する社会―神と死霊の表象史 (関西学院大学研究叢書)


横溝正史研究 創刊号

横溝正史研究 創刊号



ありがとうございました。
すべて拝読するのが楽しみでなりません。