母の49日法要。

昨日から東京に来て、
今日は母の満中陰(49日法要)でした。


昨日は父からいろいろと
遠藤家のことを教えてもらいました。
無口な父が珍しく話したそうで、
焼酎を飲みながら、たくさん話をしました。
知らなかったことがたくさんあり、
話すことができて本当に良かったです。



納骨も同じ日に行いました。
海風がとても強いのが印象的な日でした。
お寺さんに読経して頂いているときに、
母との思い出がいっぱいよみがえってきて
涙に困りました。


小さい頃、母の勤め先に勝手に行っては、
母の横でいつもデビルマンの絵を描いていたこと。
それを困りながら、優しい笑顔で見てくれていたこと。
母の仕事が終わって一緒に帰るのが楽しくてしようがなかったこと。
どうしても勤め先に行けないとき
一人遊びしていたら家に母が見に帰ってくれたこと。
母に見られていたのが嬉しかった反面、恥ずかしくて、
一人遊びしていた動物のおもちゃを後ろにかくして照れ笑いしたこと。
私は人に教えることで自分自身が勉強していくタイプだと考え、
小学生の私を先生役にして、自分が生徒役になって、
「ひできの授業は分かりやすいなあ」と言って
私をうまくのせながら勉強させてくれたこと。
「ひできが書いたものはとても面白いよ」と、
私の作文を全部、綴じていてくれたこと。
中学時代バンドで音楽ばかりして
受験勉強を真剣にしようとしない私に
「それなら高校行かずに、今から音楽のプロを目指しなさい」
と真剣に私に迫ってきたこと。
思春期に母に反抗して泣かせたこと。
反抗する私に体力的には負けるはずなのに、
身体をはって立ち向かってくれたこと。
母の気迫に結果的に私が負けて謝ったこと。
はじめてバイトでもらったお給料で
お好み焼きをおごったとき、
「これまでのどんなご馳走よりもおいしい」
と言ってくれたこと。
大学院へ行くと言ったとき、
将来大学に就職できるのか一番心配していたのに、
最終的に誰よりも応援してくれたこと。
結婚してから、母と奥さんが結託して、
結婚生活はこれくらいが良いのよと笑いながら言っていたこと。
私が今の大学に就職がきまったときに、
大学に遊びに来て、
私の研究室の扉を愛おしそうになでていたこと。



他にも数え切れないほど思い出して困ってしまいました。
優しくて、人を貶めるような言葉は嫌いで決して使わず、
人をほめるのが上手で、人をうまく育てようとして、
でもここぞという時には身体をはってでも、
立ち向かう母でした。



母の形見分けもしましたが、
母のにおいが残っている、
よく着ていた服を一着もらいました。
それを母の代わりに抱きしめてあげて、
「ありがとう。さよなら」と言いました。