研究会を通して学生さんに一番言いたかったこと。

今日はHor先生をコーディネーターとして、
Yas先生をディスカッサントに、
私の拙稿をめぐって研究会を開いて頂きました。


本当に光栄です。
ありがとうございました。


拙稿のタイトルは
社会構想における観光の可能性
というものです。
研究会では
社会構想としての観光の可能性
となっていましたが、
「における」ではなく
「としての」も結構、
面白いかもしれないと
そのままにしておきました。



研究会では研究者として、たくさん気づけたり、
主張したいこともたくさんありました。
研究者として社会学的な議論や哲学的な議論で、
いろいろと面白いことを考えることができて、
その点でも、本当に面白くスリリングな研究会でした。
自分自身、かなりエピキュリアンであることに気づきました。
さらに、こうした研究会ができる大学にいられることは
とても幸せなことだと思います。



しかし、研究者としての議論をぬきにすると、
ゼミの学生さんを含めて、
研究会に来てくれていた
本学の多くの学生さんに対して
一番伝えたかった教育上のメッセージは、
ひとつです。



それぞれが自らの道を、
自らの人生を旅せよ。
そして喜びも、苦しいことも、
面白いことも、つらいことも含めて、
自らの人生を楽しめ。
それこそが「遊び」なのだ。
私たちは人生を「楽しむ」ために生まれてきたのであって、
人生を「苦しいものにする」ために生まれてきたのでは決してない。
人を愛することの喜びも、せつなさも、
人を憎悪することの悲しみも、苦しみも、
すべてをひっくるめて、
自らの人生を大切に「遊び」なさい。
そして、それぞれが歩む方向は違っても、
精いっぱい、人生を楽しもうとする姿勢があれば、
私たちは優しくなれ、人生がともに重なり合う。



ということです。
これは私自身もそうです。



研究者としての私の主張や、Yas先生の主張、
Hor先生の主張、それぞれの主張は、
われわれ一人ひとりの主張です。



たとえば私の主張は、私のゼミに所属しているからといって、
学生さんが引き継がなくてもよいものです。
学生さんは、自らの人生を自らの足で歩むための、
自らの考え、価値観を楽しみながら彫琢しなさい。

それが学生さんに向けて、
私がずっと投げかけていたメッセージでした。


ちょっとかた苦しく表現すると、


わが主張は、われ一代限りのものにて、
誰にも引き継がせたることあたわず。
おのおの、みずからの考えを
楽しさのもとで自主独立して彫琢すべし。
それは誰のものよりも、きらめきわたる、あなただけの星、
あなたが生まれてきた証となる「遊び」の成果なり。


です。


これは結構前から私自身が言っていることですね。


これまで何年間かゼミを担当させていただき、
学生さんにはこのメッセージをずっと
送り続けてきたように思います。