最近よく考えること。

最近よく考えること。


それは

《日本》とはどのような擬制(仮構)なのか?


《日本人》とはどのような「欲望の星座」のもとで
創られてきているのか?


《地域》とはそもそも何なのか?


《地域》は存在し得るのか?


これらは1940年代から1980年代、
さらには1990年代、2000年代、2010年代と
どのようにシンクロし、
《時代》なるものを形成してきたのか?


ということです。



それは、ある意味で観光という《移動》の問題とリンクさせた、
私なりの「“日本”論」であり、
「“ポストモダン”論」を含めた
「“時代”論」となるべきものです。


私と同じスタンスとは言えないと思うのですが、
とても気になる「“日本”論」としては、
椹木野衣『日本・現代・美術』(新潮社)があります。



日本・現代・美術

日本・現代・美術


こうしたメタ・レベルの問いの後にようやく、
形成された《時代》なるものにおいて、
何らかの社会的思惑、「欲望の星座」のもとで、
仮構された《日本》という名の
《地域》を肯定的に愛着をもって語るか否かという問題

生じることになるのですが、
《日本》という《地域》を
肯定的に語るにせよ、否定的に語るにせよ、
私は最近、これについては
あまり興味をそそられなくなっています。
宮台さんが主張するような、
複雑性を縮減するための「あえて」レベルでも、
何かやっぱりその気になりません。


そういうのよりももっと
メタ・レベルでの考察ばかり、
最近興味をもってしまいます。