“市民”とは誰のことなのか?

体調が思わしくないまま、
研究会に向かいました。


とりあえず、昨日の夜遅くまで
本を読んでいました。



この本を研究会で読んでいますが、
ずっとひっかかるのは、
「“市民”とはいったい誰のことか?」と
いうことです。


他にこの本で時折出てくる
「御用学者」という言葉も結構ひっかかります。
御用学者なる“本質的な存在”なんて、
この世に存在しませんよ。



市民なる存在も、
御用学者なる存在も、
それは、ある思惑のもとで設定された、
フィクション(虚構)ではないでしょうか?



誰でもそういう可能性をもっていますが、
あるポジショナリティ(立ち位置)の人からすれば、
自分にとって都合の悪い意見を言う人を
「御用学者」とか「対抗勢力」とか、
そういう言葉を投げつけ、
逆に、そうすることで、
みずからの「市民性」を担保しようとするときがあるのであって、
そうした政治性を抜きにして、
「市民」も「御用学者」も
そういう言葉の意味を考えても、
むなしいのではないでしょうか。



という議論ができて、
かなり面白かったですが、
その後の飲み会は、
体調が悪いためか、
ビールも変に甘く感じ、
2杯目でくらくらしてきてしまいました。