サンデル講義録の番組。

今日は仕事が一つでした。


お正月にNHK教育で再放送していた、
マイケル・サンデルの講義を録画していました。


私の考え方とつきあわせてみると、
政治哲学の考え方としては、
私は政治哲学的には、
サンデルのようなコミュニタリアニズムではなく、
どちらかと言うと、
左派リバタリアニズムアナーキズム)に少し近いものの
あくまでリベラリズム左派であるという立場で、
サンデルとはかなり違います。
講義の仕方も、サンデルは、
とてもしっかりと計算され
練られている対話を行っており、
その意味でダイアローグではなく、
実はモノローグに近いのに
形式的にはダイアローグの形をとるようなやり方は
私ならまずしないだろうなと思いました。



ただサンデルの政治哲学の考え方そのものは、
コミュニタリアニズムのものとしては、
それはそれで充分ありだと思いますし、
あの仕方の講義も、私はしないだけで、
優れた講義方法の一つではあると思いました。



しかしサンデル自体は良いとして、
私が疑問に思うのは、
「なぜ今これほどサンデルか?」
ということなのです。


政治哲学としての正義論が
ベストセラーとなってしまう社会的文脈とは何か、
そしてその社会的文脈のもとで、
ひとつの流行現象の中で、
正義論について話をするということは、
社会的にどのような意味があるのか?
もしかしたら、それは、
《正義》から最も遠いところにある
正義論になってしまいかねないのではないか?


私が興味をそそられるのは、
そういうところです。
そろそろ一歩も二歩も引いて、
クールに突き放し政治哲学を、
そして正義論を(語ろうとしている自分自身を)
みる必要があるのではないでしょうか。
そんなことが現代社会では、何よりも
必要とされているような気がするのです。



正義について語ろうとすれば
正義から離れてしまい、
しかし正義そのものが非常に重要視される、
そんな矛盾した社会で、私たちはそれでもなお、
どのようにして《正義》を語ることが
できるのでしょうか?
こうしたことを自覚的に
考えていくことが必要ではないのでしょうか?



今日、購入した大澤真幸さんの本も、
かなりそのあたり自覚されて、
正面からいきなり正義論をテーマ化するのではなく、
ある仕掛けをつくったうえで、
正義論を論じられているような気がします。



というわけで、最近、購入した本。


「正義」を考える 生きづらさと向き合う社会学 (NHK出版新書)

「正義」を考える 生きづらさと向き合う社会学 (NHK出版新書)


40歳からの知的生産術 (ちくま新書)

40歳からの知的生産術 (ちくま新書)


「鉄学」概論―車窓から眺める日本近現代史 (新潮文庫)

「鉄学」概論―車窓から眺める日本近現代史 (新潮文庫)


海を渡ったアイヌ――先住民展示と二つの博覧会

海を渡ったアイヌ――先住民展示と二つの博覧会


自動車と移動の社会学―オートモビリティーズ (叢書・ウニベルシタス)

自動車と移動の社会学―オートモビリティーズ (叢書・ウニベルシタス)