研究における基本姿勢。

昨日の夜に、NHKEテレで、
新世代が解く!ニッポンのジレンマ』という番組を
少し見ていました。


あまりに早口すぎて、議論についていけないところがありましたが
(もう少しゆっくり話せば良いのに)、
議論のポイントはとても面白いものでした。
しかし1950年代生まれ、1960年代生まれ、1970年代生まれ、
そんなくくりで、だから〇〇という風に見てしまったら、
この議論は大事なものが抜け落ちてしまうだろうと
そのときに思いました。



結局、議論のコンテンツであったり、
コンテンツと絶対に切り離せない議論の位相であったり、
そうしたものだけが重要で、そうしたものを軸に、
だから〇〇という風に見るべきだと
自分自身を誘い込んでいく方が、
絶対に面白いし、大事なことが議論できると思いました。



それは、実は、私の研究における基本姿勢でもあります。



議論のコンテンツと、
コンテンツと絶対に切り離せない議論の位相、
そのあたりだけが研究の勝負ポイントではないでしょうか?



その際に時代性をはらむコーホートという意味で、
世代はまったく無意味であるとは思いませんが、
それは、議論の有意味性なり正当性なりを、
保証するものでは、当然ながらまったくありません。



いつも、「これから」が自分の標語であったりします。
というわけで、自分は、
1950年代生まれ、1960年代生まれ、
1970年代生まれ、1980年代生まれ、
1990年代生まれ、そのすべての人間でありたいと思います。
「これから」「つねに」。