大学教育の質。

「大学教育の質を保証しなければならない」という人を
最近よく目にするようになりました。
たしかに「大学教育の質を保証する」のは大切です。



ただ、その前に、
「大学教育の質を保証しなければならない」という
言葉(言説)の質を
保証しなければならないように思います。
つまりこういうことです。



「大学教育の質を保証しなければならない」というときの、
「大学教育」とはどういうものであるべきと考えているのか、
「質」とは何をもって質というのか、
では大学教育の「量」とは何か、
「保証する」とは誰が何のためにどのようにして何を保証するのか。


こういうことをほぼ考えていない人に限って、
「大学教育の質を保証しなければならない」と
声高に叫ばれているように思います。



さらに言えば、「大学教育の質を保証しなければならない」と
声高に叫んでおられる方が、
学生さんの一人一人のことなんか
考えておられないこともよくある話だと思います。



ご自分が、ある大学の質をどうのこうのというなら、
その大学へいって、そこの学生さんと
最低でも10名くらいと会って、
名前をしっかりと覚えて、
それからどうこう言うべきではないでしょうか?


私はいつも当然そう心がけています。