本務校の奈良県立大学で、社会学の講義。

先週は「Jポップを通して見た文化のあり方」について。Jポップを事例に、文化産業論などを通して、いかにして文化に貨幣のフェティシズムが浸透していくのかを考える。


今週は「『あいのり』を通して見たメディアのあり方」について。

ここには、いくつかの論点があり、それらが結構てんこ盛りであったので、学生さんもちょっと戸惑い気味か?

論点を整理する必要が来年度はあり。

論点はこうです。

(1)メディアは現実を再構成する。

(2)世界はメディア化されている。
私たちは、言葉をぬきに思考することはできないし、言葉を通して現実を創りだしている。私たちは言葉を道具として扱っているのではなく、言葉の世界の住人なのである。これと同様、私たちはメディアをぬきに思考することもできないのであり、メディアを通して現実を創りだしている。私たちはメディアを単なる道具として、それを操っているというのではなく、私たち自身がメディアの世界の住人なのである。

(3)メディア化された世界の内側に、それでも、どうしてもメディア化されない部分がある。ここを基点に、私たちは実はメディアを再考するべきではないか。


(1)は結構当たり前のことで、メディア・リテラシーでかなり言われてきたことです。(2)はボードリヤール的視点で、ポストモダン論におけるメディア論とも言えるかもしれません。でも私が一番言いたいのは(3)なのです。でも、ここがやはり一番、難しい。でも、ここがやはり一番、こだわっている所なのです。