心が痛いんだ。

3回生ゼミの学生さんたちを怒る。



ちくしょ〜っ!!!
学生さんを怒るたびに
心が痛いんだ。


誤解のないように言っておきますが、
この学年のゼミ生も、他の学年のゼミ生も、卒業したゼミ生も
みんな無茶苦茶気が良くて、勉強もちゃんとできる学生さんたちです。
とくにこの学年は向き合っている方向はバラバラだけど、
個性はおそろしくつよい学年なんだ。
それは素晴らしいと思う。
向き合っている方向がバラバラなのだって、
別に構わないと思っている。


でもね、ゼミの仲間がつくったレジュメに対して、
質問がないことなんて絶対にあり得ないだろう?
分からないこと、聞きたいことがないというのは、
そのレジュメをつくった仲間をシカトすることなんだよ。
そんな失礼なことはないんです。

もちろん、専門用語だけではなく、
ロジック自体がややこしいときには、
教員がうまく誘導する必要があると思います。



ただ、もっと、もっと、
一人一人がレジュメをマジでつくり、
一人一人がマジで議論しようとしない限り、
何も身に付くわけないじゃないか!

そのためには、輪読する文献を
読んできているのが当然だろう?
時間が過ぎるのをただじっと待っているだけなんて、
そんな無駄な時間を過ごすなよ!


ゼミは学生さんが主人公になって、
違う考え・価値観を持っているものどうしが、
お互いの意見を尊重しつつ、
自分たちの意見をスパークさせる場です。


その意味で単に楽しい<授業>ではないんだ。
もちろん楽しいことも大事で、
単位化されているから授業なんだけれど、
それだけではなくて、
自分たちが主人公となって、
展開していかないといけない
<主体的な場>でもあるんだと思いますよ。



本当の楽しさは、
マジだからこそ楽しいんだと思うよ。



これは3回生ゼミとは関係ない人たちに向けた言葉だけれど、
学生時代の思い出も、
その結果に過ぎないんですよ。
意図して思い出なんて「つくる」ものでは決してないんです。
だから私は、「思い出づくり」という言葉はあまり好きではありません。
「思い出」はマジでやってきた人が、
結果として振り向けば、
何かそこにあったなあというものなんだ。
マジでやろうとしない限り、
「思い出」なんてできるわけねえ!
(ん?話が違う方向にズレ始めているぞ、おれ!)