アゴラ。
今日ちょっと気づいたことがある。
実は私が研究で目指そうとしている一つは、
アゴラ
の現代的な意味での実現化ではないか。
古代ギリシアでは「市民」が、
知的・精神的「交流」を行っていた<広場>、
それが「アゴラ」なのである。
そして私が目指そうとしているのは、
学問界、産業界、行政等、関係なく、
自由で対等で開かれた交流による、
刺激的な議論の展開なのである。
それは「交流」という点で「旅」に似ているし、
まさに現代的な意味での<広場>、アゴラであろう。
そこでは権威なんかどうでも良い。
教授であるとか、本を何冊書いているとか、
賞をとったとか、そんなことはどうでも良い。
大事なのは、今この瞬間、次にどういうチャレンジングな仕事を
自分自身がするのかということだけである。
それは、先人たちや自己の知的蓄積をないがしろにすることではない。
逆である。
先人たちや自己の知的蓄積を本当に大切にするのであれば、
それらに挑戦し、ぶっつぶさなくてはならないはずだ。
ローリング・ストーンズになろう、だ。
オレはミック・ジャガーだ(ちゃう、ちゃう)。
たとえば先人たちの知的蓄積をリピートするだけでリスペクトしていると言うのは、
欺瞞であるし、怠惰であるし、何より不誠実だ。
相互にチャレンジングな仕事をしている今を、
スパークさせ、それらを交流させていく場、
それが現代的な意味での「アゴラ」である。
それは「学会」という「実体」的な組織ではなく、
「生成」「運動」の中でしか現れてこないものだ。