「ドストエフスキー型」研究と「トルストイ型」研究。

学問も他者に対するコミュニケーションの一つである以上、
バフチン風に言えば、学問にも
トルストイ型」と「ドストエフスキー型」が
あるのではないだろうか?


ドストエフスキーの詩学 (ちくま学芸文庫)

ドストエフスキーの詩学 (ちくま学芸文庫)


トルストイ型」は、最初にきちんと
語の定義をして、
その定義に沿いながら、
学問的コミュニケーションを図っていくものである。


それは、非常に整然としており、
これまでの学的伝統が培ってきた方法であると言える。
だが、語の定義をするということは、
決して中立的な行為ではあり得ない。
どのような意味をその語に組み入れて、
どのような意味を組み入れないかは、
その裏に多くの利害関心がひそんでいる。



だとすれば、むしろ、その利害関心を前景化し、
積極的に引き受けて、
他者とのあれやこれやの
やり取り、せめぎあいの中から、
意味を立ち上げていく。
そういう学問もあって良いのではないか?
それは定義をした範囲で
整然とコミュニケーションをしていく
というのではない方法である。


混淆、猥雑さ、せめぎあい、
そうしたものの中で生成する学である。
それを「ドストエフスキー型」学問だと
言うことにしたい。



これは、これからの学問のあり方において、
もっとよく考えていくべき問題ではないだろうか。
もうちょっと、よく考えよう。