「ドストエフスキー型」研究と「トルストイ型」研究。
学問も他者に対するコミュニケーションの一つである以上、
バフチン風に言えば、学問にも
「トルストイ型」と「ドストエフスキー型」が
あるのではないだろうか?
- 作者: ミハイル・バフチン,Mikhail Mikhailovich Bakhtin,望月哲男,鈴木淳一
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 1995/03/01
- メディア: 文庫
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「トルストイ型」は、最初にきちんと
語の定義をして、
その定義に沿いながら、
学問的コミュニケーションを図っていくものである。
それは、非常に整然としており、
これまでの学的伝統が培ってきた方法であると言える。
だが、語の定義をするということは、
決して中立的な行為ではあり得ない。
どのような意味をその語に組み入れて、
どのような意味を組み入れないかは、
その裏に多くの利害関心がひそんでいる。
だとすれば、むしろ、その利害関心を前景化し、
積極的に引き受けて、
他者とのあれやこれやの
やり取り、せめぎあいの中から、
意味を立ち上げていく。
そういう学問もあって良いのではないか?
それは定義をした範囲で
整然とコミュニケーションをしていく
というのではない方法である。
混淆、猥雑さ、せめぎあい、
そうしたものの中で生成する学である。
それを「ドストエフスキー型」学問だと
言うことにしたい。
これは、これからの学問のあり方において、
もっとよく考えていくべき問題ではないだろうか。
もうちょっと、よく考えよう。