司馬さんのエッセイ。

司馬遼太郎さんの作品に、「源氏さんの仁王」というエッセイがある。
名エッセイだ。
源氏鶏太さんの人柄だけではなく、
それを書いている司馬さんの人柄まで伝わってくるようだ。


彫刻家が仁王を彫ることができるのは、
木の中に仁王がいて、
それを彫り出しているからだと
幼い頃思っていた、そう司馬さんは書いている。


単なる木ではなく、
仁王がいる木で、
彫刻家は、その仁王を彫りだしている、
そう思っておられたらしい。


そして源氏さんの作品もまた
仁王がいる木であると司馬さんは言う。
それにもかかわらず、
源氏さんは自分の中に仁王がいることなど
つゆほども見せず、いつもご自分は
単なる木に過ぎないという顔をされておられたと言う。


私の中には仁王がいるのだぞ!
という人よりも、
むしろ単なる木のような顔をしている方が、
実はその中におそろしいほどの仁王を
蔵しているのではないかと書いておられた。



今日、安倍首相の辞任会見を見ていて、
ふと、このエッセイのことを思い出した。


にこやかに、おだやかに
そして静かに単なる木であるかのような
顔をしていながら、
おそろしいほどの仁王を蔵している「大人」が
最近、少なくなったような気がします。
(自分もふくめて)


私自身は結局、単なる木に過ぎないのかもしれませんが、
ゆっくりと、そういう人を目指していきたいと思います。




司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10 (新潮文庫)

司馬遼太郎が考えたこと〈2〉エッセイ1961.10~1964.10 (新潮文庫)