旧友からの電話。

最近、中学校時代や高校時代の友人から
20年、30年ぶりくらいに電話がかかってくることが
多くなってきました。


「おれ。誰やと思う?」



って、一瞬、いたずら電話かと
思うような高校時代の友人からのものも
ありましたが、それでも、すぐに昨日まで
高校で会っていた時のように


「お〜、○○か!どうしたん?」


と言っている自分にびっくりしました。
向こうも、「よく分かったな」と
驚いていたみたいです。


不思議なもので、
中学校、高校時代の友だちからの電話が
かかってくると
何か分かるみたいです。


40代も半ばを超えると、
みんな懐かしくなるのか、
こういう機会が増えてきます。


昔の友人と話していると、
私が大学で教えていると聞いて、
反応が両極端に分かれます。


研究者であるということについては、
「遊んでばかりいた、あのおまえが研究者?」
というタイプと、
「よく本読んでいたものね」
というタイプの人がいます。
そして実は、
遊んでばかりいたことと本ばかり読んでいたことは、
私の中でまったく矛盾しておらず、
どちらもが繋がって研究者になっています。
遊びでも何でも、
自分にとって大切なことについて、
その意味を追求する。そのために本も読む。
そして研究も私にとって
無茶苦茶面白い遊びの一つなのです。



教育者であるということについては、
「人を導くとか大嫌いな、あのおまえが教育者?」
というタイプと
「人は必ず成長できるとよく言っていたものね」
というタイプの人がいます。
これも実は、私の中で矛盾していません。
教育とは、相手とかかわり、
その中で自らも変わり成長しながら、
相手が成長することをあきらめずに
祈るように見つめていく、
そんな祈りにも似た行為
だと
昔から思っていたところがあったので、
高みから教え導くという言い方が大嫌いだっただけです。
「あなたは、きっと昔から、ちょっと話がくどい、
教育者っぽいところがあったんじゃない?」
と奥さんは言います(よけいなお世話だ)。



このあたりの年齢になると、
若い頃に潜在的にあったものが芽吹き、開花して、
昔は一緒に行動していた仲間同士でも、
まったく違う形や色の花を咲かせていることが
はっきりして、お互いにびっくりすることがあります。


あの悪友がこんなこと言っていると、
それがとても楽しいときと、
あんなによくしゃべっていたのに、
お互い結構違うようになったなあと
ちょっと寂しく思うときがあります。