最近、増えている問いかけ。

今年もあと二ヶ月です。
早いです。


最近、私が誰なのか聞かれることが
以前よりも増えている気がします。


あなたはどこの大学で知的トレーニングを積んだのか?
あなたは誰の先生のお弟子さんなのか?
あなたは何学者なのか?
あなたは大学ではどういう経歴をもっているのか?
あなたはいったい何主義者なのか?
あなたは質的調査をする人間なのか、量的調査をする人間なのか?


こうした「あなたは誰?」的な問いの形式に対して、
フーコーみたいに
私は言説をスパークさせ、爆破させる花火師です
と格好良く答えたいところですが、
残念なことに私はフーコーみたいに格好良くなく、
ちょっとばかり気も弱いときているので、
あれやこれや考え
できるだけ摩擦なく、
にこやかに答えようとするのですが、
でも、こうした問いの形式が好きかどうかと聞かれると、
あまり好きではありません。


わたしは花火師です―フーコーは語る (ちくま学芸文庫)

わたしは花火師です―フーコーは語る (ちくま学芸文庫)


時々、実際に相手の方についつい、
もし私を知ろうとして下さるなら、
私の本を読んで頂けますか?
私が一番最近に書いたものが、
研究上の「私」に一番近いと思います

と言ったりして、ほんのちょっと
摩擦を引き起こしてしまいます
(すぐにまた相手が望んでおられる
社会人として適した何らかの答えを考えて、
摩擦の解消に努力してしまう私)。


ガイドブック的! 観光社会学の歩き方

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前にも書いたように、私は、
自分の母校や大学院時代の指導教官に対して
大切で特別な感情を抱いていますが、
それらが研究上の「私」を誰かに説明するものとはあまり思いません。
それらは研究上の「私」のスタイルを形成するうえで
なくてはならないものだったと思いますが、
それはきっと、私自身でさえ意識していないことについてであって
研究上の「私」を知りたければ、
現在や最近において私が発言していること、
書いていること、
将来において書こうとしていること、
そこで考えるべきだと思うのです。


それは私が研究者のどなたかを
考える上でも同じことです。