ありがとうね。おばあちゃん。

一昨日、11月19日(水)午前7時過ぎに
祖母が他界しました。
享年98歳の大往生でした。
一時期には「もしかして死ぬの忘れている?」と
思わせるくらい元気でした。


ただこの数日寒くなって、
すっと木が枯れるように
静かに亡くなりました。
私もいつか、こんな亡くなり方が
できれば良いなあと思うような
亡くなり方でした。


明治の京都に生まれた、
明治女・京女の生涯は、
よく頑張ったなあというものでした。


太平洋戦争で夫(祖父)を早くに亡くし、
まだまだ幼子だった父と叔父を抱え、
大阪大空襲を生き延び、
戦後の混乱期、ダイエーの発祥地でもある千林で
男たちと張り合いながら商売をして、
子どもたちを育て上げ、
その後の昭和30、40年代の高度成長期も働き続けた
激動の生涯だったと思います。


年老いても身体が動く間はずっと働き続けた人でした。
額に汗して働いてお金を稼ぐということの尊さを
孫である私たちにもずっと教え続けていた人です。
祖母にこれまでで一番ほめられたのは、
仕送りなしで、自分で働いて生活すると
大学院時代に言ったときです。
そのためもあって、
私は今でも働くことが好きです。


よく生きた者はよく死ねる


そうしたことを本当に感じさせてくれたお葬式で、
小さな会でしたが、でも
来て頂いた方はみんな
心から別れを惜しんでくれて、
ただ悲しいというよりも、
「よく生きたね」と言って
笑いながらほめて送り出したいと思うような、
まさに泣き笑いのお葬式で、
これほど良い式を
私はそんなに知りません。


いつもいつも、敬老の日ごとに私が贈っていた
プレゼントを人に自慢していたそうです。
来て頂いた人の多くから、
「こんなん贈ってくれたと、嬉しそうに私たちに
見せて、いつも英樹ちゃんの話をしていたよ。
自慢の孫やったんやねえ」と言われました。
(ちょっとその時、泣きました)


これからも仕事に楽な仕事なし、
嫌なことも仕事にはつきもの、
でも仕事は楽しく尊い
モットーに頑張ります。


どんなときでも、どんなに私が落ち込んでいるときでも、
私のファンでいてくれる人が、
一人いなくなって寂しい気がしますが、
でも、ここまで、見守り続けてくれて、
本当にありがとうね。
おばあちゃん。


僕も100歳くらいまで、
よく生きて、よく死んで、
向こうで会ったときに、
あなたに怒られずに(子どもの頃、箒もって追いかけられたね)、
笑ってもらえるように
頑張ります。