卒業生に贈る言葉。

私は獰猛でいちびりの狼と
まじめだが、びびりの羊の
間に生まれた「くま」である(体型的に)。



奥さんから愛されるくまであるようにと
ちゃんとテーブルについて、
スプーンをつかって
スープを飲むように
いつもいつも言われているので、
ふだんは頑張って、そのようにしているが、
獰猛でいちびりの狼の血がときに騒ぎ、
けっ!社会の常識なんかくそくらえ!と、
スプーンを投げ捨てて、
狼のようにガルルと言いながらスープを飲む。
だが、その後、びびりの羊の血が
むくむくと頭をもたげてきて、
スプーンを投げ捨て、
そんな食べ方をして
常識なんかくそくらえ!と言ったりして
「みんなに嫌われる?」
びくびくし始める。


「おれ、みんなに嫌われるのか?」と尋ねられ、
奥さんは「あ〜、うっとうしい」とため息をつく。
私は、しょんぼりとスプーンをひろって、
またテーブルにつく。


私は、この繰り返しをしている。


しかし、私だけではなく、
多かれ少なかれ、
人は狼でもあるし羊でもある。
(繰り返すが私は体型的にはくまでもある。)


このように人は一筋縄ではいかない、
面倒で複雑でうざくて、
しかしどこか愛すべきところもある、
そんな存在である。
そんな存在だからこそ人を愛すことができるし、
人から愛されることができるのである。



愛をめぐる、そんな感性をどうか培って下さい。



これから、社会にでれば、いろんな人に出会いますが、
そのたくさんの人に対して
○○のため、○○の役に立つといったように、
○○を通して結びつくのではなく、
ただ、その人だから、
その人が面倒でうざいけど、
でもやっぱり何となく好きだから
という理由で愛して下さい。
1990年代の若者たちが
ロスト・ジェネレーション(失われた世代)」と
言われているのに対して、
現代の若い方々は、もしかすると、
「喪失」の感覚さえも失われた、
「ロスト“ロスト”ジェネレーション(喪失感も失われた世代)」
なのかもしれません。
しかしだからこそ、
○○のためという、ある種「功利的な理由」ではなく、
ただ好きだという理由で
たくさんの人を愛することのできる人生を送ってほしいと思います。



人生のおわかれのときに、
「あーっ、よく愛した!」と
思えたら私たちはロストどころか、
たくさんのものを得ることができるのではないでしょうか。