奈良についてもう一つ日記を。

奈良について、もう一つ日記を。



奈良の核は「滅びの美」だと思います。
「滅び」ではありません。
「滅びの美」です。



「滅びの美」とは幻視することにつながっています。
たとえば、崩れかけた土塀の前に咲いた紫陽花が、
もうすぐ枯れかけようとするのを目の当たりにして、
その彼方に、
かつて現出した
極彩色の中で、金色(こんじき)に光り輝く、
豪華絢爛たるアジア文化の美を
イリュージョンで視ることができること

それが「滅びの美」です。


崩れかけた土塀の前に咲いた紫陽花が、
もうすぐ枯れかけようとすることを
愛でる心とは(それも良いものかもしれませんが)違います。


そして幻視されるのは、
やはり日本、やまとの美です。
ここで言う「日本の美」も
「日本って美しいよな」と
ナルシスティックに語る美ではありません。



日本が中国、韓国、あるいは
シルクロードを介して中東諸国の
極彩色の文化とつながっていることを
一からとらえ直したときに見えてくる美です。



奈良県南部の修験道文化だって、
アジアにおいて形成された密教文化、
さらにはインドのヒンドゥー教文化をぬきに語れないし、
密教曼荼羅なんて、ゴージャスそのものの
色合いではないですか!
わびがどうした!
さびなんて知るか!
みたいな文化だと思いますよ。
(いや、それも良いと思うし、好きですが)



言うなれば、これまでの「日本の美」のフレームを
形成してきた「日本史像」をぶっつぶしながら、
新たにもう一度、アジア史、世界史の中で
日本史をとらえ直したときに現れる美です。
それは日本の美でありながら、
アンチ=日本、非=日本の美とも言えるものになるのではないでしょうか。



こういうことをもうちょっと
真剣にやらないと
平城遷都1300年祭は地方の単なる一イベントで
終わってしまう危険性もあると思うのです。
ただ、そうなっていってしまうプロセスを分析するのは、
それはそれで
社会学者としては興味深いことではあります...。