FD研修会。

今日は会議が2つでした。


一つは大学の授業(教育理念、授業方法等々)について考える、
FD研修会でした。
FD委員会の委員長もしていますので、
私は司会をさせて頂きました。
先生方に、教育について、
たくさんのいろいろな想いがあることが分かりました。
その意味で、とても良い研修会になりました。


しかし、それと同じくらい
学生さんにも想いがありますので、
それをしっかりと受けとめられるようにすることが
FD委員長としての私の役割だと思っています。



私たちがやっている教育とはどういうものでしょう?


もちろん、それはサービスではありません。
学生さんはお客様ではなく、
あくまで学生さんです。
産業分類で言うと、大学はサービス産業になりますが、
それはあくまで現代の産業分類の中では、
そこに当てはめるしかないということに過ぎません。


かと言って、授業に関して、
先生は教え導く存在なのだから、
学生さんの声など聞かずに
教員の信じる道だけを進めば良いということにも
私は絶対に賛成できません。
大学の授業は、学生さんと教員との相互作用の中にしかないのだとすれば、
学生さんの声はとても大切なものだと思います。
さらに言えば、大学教育とはすべからく、
学生さんと教員との相互作用の中で教員を触媒の一つにした、
大学という場における自己教育、
学生さんが主体となった自己教育でしかないのだとすれば、
教員の声よりも学生さんの声の方が大切だと思います。


つまり「満足して頂く」というサービス業的な物言いにも、
「教え導いている」という教師風の物言いにも、
くみすることができないというのが私の主張です。



教えることはとても大事です。
授業やゼミ、実習、他にも様々な機会で
教員が学生さんにきちんと伝えようとすることはとても大切なことです。
同時に、結局、すべからく自己教育であるのだとすれば、
自分自身を高め教育しようとしない人に
教えることなどできないのです。


教えることの大切さ=いかがわしさ
この二重性の困難に無頓着でいることなど私にはできません。
学生さんの声が必要なのは二重性の困難に
私自身がどっぷりと浸かっているからです。
だからこそ私のスタンスは研修会でも
分かりにくかったのかもしれません。
しかし、この二重性から目をそむけることなく、
ここにこそ、私たちはしっかりと
こだわっていかなくてはならないのではないでしょうか?




最近、購入した本。


ナラティヴの権利――戸惑いの生へ向けて

ナラティヴの権利――戸惑いの生へ向けて


現代日本の転機 「自由」と「安定」のジレンマ (NHKブックス)

現代日本の転機 「自由」と「安定」のジレンマ (NHKブックス)