カリスマ性はいりません。

昨日、専門ゼミの学生さんに卒論指導しているとき、ある話しから、


先生って、カリスマ性、あんまりないっすね。



と言われ、カクっとずっこけました。
すみませんね。
カリスマ性なくて。
でも、カリスマ性たっぷりな私も嫌でしょ?
「あなた自身が個性たっぷりなんだから、
カリスマ性ある指導教官なんて面倒くさいやろ」
と言ったら、学生さんも笑っていました。


それに、悔しくて言っているのでは決してなく、
私に限って言えば、
カリスマ性なんて、いらないと思っているのです。


カリスマ性って「神から授けられた超人間的な資質」でしょう?
いらねえな、そんなもん。
30代前半くらいまでは、
ちょっとあればなあと思っていたときもあって、
カリスマ性ある人見たら、うらやましく思えていたけれど、
今は、私に限ってですが、
そんなんあったら、
私自身が人生楽しむうえで
邪魔で仕方ないだろうなと思うようになりました。


むしろ人間的な領野(フィールド)で、
精一杯、いつも楽しみながら、
ただ一人の研究者・教育者として、
つねにバージョンアップして、
変わり続けていきたいなと
本気で思っています。
その意味では、学生さんや、
若手の研究者の方と同じ領野(フィールド)に
現役として立ち続けていたいです。
そしたら「超」は
いらねえと思うようになりました。
人間くさく、
愛したり、苦しんだり、
憎んだり、微笑んだり、
そんなことを相も変わらず、
繰り返しながら、
でも常に変化・進化し続けたいです。