良いなあと思う言葉。

最近、『はじまりのレーニン』といい、
『森のバロック』といい、
ちょっと中沢新一さんが私の中で再ブームです。
チベットモーツァルト』久しぶりに読み直してみようかな?


チベットのモーツァルト (講談社学術文庫)

チベットのモーツァルト (講談社学術文庫)


南方熊楠の流れで、
中沢新一さんの『森のバロック』で
良いなあと思う言葉を。

ほんものの学問は、常識(ドクサ)への疑いから出発している。世間で正しいこと、正しくないことと評価されている価値に疑いをもち、常識によっては見えなかった現実を、新しい概念を創造することによって、見えるものにし、常識の枠を事実の発見によって、打ち破っていく精神のみが、真実の学問をつくる。だから、本質上、学問とは力をもたないものなのだ。学問にできることは、ほんらい「諸力にたいして、ゲリラ戦を展開する」ことでしかない。常識の知性が、「大いなる創造力の流れ」である宇宙的なるものにたいして築いた、さまざまな砦にむかって、学問は機略をつくしたゲリラ戦をおこない、砦のそこここに改修不能な損傷をあたえ、宇宙的な力が、砦の内部の住民たちのもとにまで浸透していける状態をつくりだそうとしてきた。熊楠は、そういう学問を心から愛した。
『森のバロック講談社学術文庫、p.28

「だから、本質上、学問とは力をもたないものなのだ」



ここが良い。


しかも、学問は陽気なものである。
力をもたないが、
力強く、陽気。


最近、自分が研究に向き合うときに、
とてもよく感じることだ。
そうすると学問が政治的・経済的・社会的に力を持つとは
どれほど、あやういことかが分かるだろう。