「基盤なき社会」の中で。

民主党の鳩山総理が辞任とのニュースが流れました。


しかし、昨年度の日記にも書いていますが、
私はと言えば、そうなることに
昨年度の政権交代の時点からすでに
それほど大きな違和感はありませんでした。
(予測はまったくできていません)


しかし、そうかと言って、
昨年度の政権交代に社会的意義がなかったとは
私は全く思いません。


私の意見としては、
昨年度の政権交代は、
ある種の革命の序曲
であったと思っています。


自民党政権からの離脱という意味で?
まったく違います。
民主党であれ、
次に、なに党であれ、
どこが政権をとろうが、
自民党時代からそれほど大きく変わらないと思うのです。


そうではなく、自民党であろうが、
民主党であろうが、社民党であろうが、
共産党であろうが、公明党であろうが、
なに党であろうが、
そうした政党政治の終焉、
そして政党そのものの存立基盤である
イデオロギーの終焉、
その実現手段である数の論理の横行を許す
議会制民主主義の終焉、
そうした諸々の終焉が今起こり始めているように感じます。


政党ベース、イデオロギー・ベース、議会ベースというように
私たちは何かをベース(基盤)にすることが
できない社会に生き始めているのかもしれません。

そうしたベースから私たちは断ち切られ、
見放され始めているとともに、
そうしたベースを私たちも見放しつつあるのかもしれません。

そうなると、まったく別のかたちの政治を
私たち一人ひとりが
政党はもちろん、どこにも依存することなく
そろそろ真剣に模索すべきときに来ているのではないでしょうか。


そうした模索の具体的なプロセスこそが、
「新しい民主主義」を創造するのではないでしょうか。


ベース(基盤)なき社会
ルーツ(根)なき社会の中で
お互いが支え合うことで、そのことに耐えながら
一人ひとりが、これまでと全く違う、
まだ誰も見たことも、
考えたこともないような
「新しい民主主義」のかたちを模索すべきなのかもしれません。


ただ現状の社会的意味については、
もう少しクールに社会学者として
考えてみたい気がします。