〈文化〉の自立=自律宣言のために。

最近、公立大学の意義について考えています。


公立大学の意義には、


授業料が安く就学機会を多くの人たちに広く提供する
大学が設置されている地域に知の成果を還元する


等々、いろいろありますが、
その中で私が忘れてはならないと思うのは、


大学は知=文化の拠点であり、
その大学を設置する都道府県は、
住民たちが中央集権的にではなく、
みずからの力で知=文化を育成するのだという
「〈文化〉の自立=自律宣言」の
なくてはならない前衛=橋頭堡として
公立大学はあるということです。


真の地方自治は、文化の自立=自律に始まる


そう思います。
(最近、「自治」についてマジに考えたいと思い始めています)


地域住民たちが公立大学を大事にするということは、
地域住民たちが、自らの住む地域の有する
文化を大事するということであり、
公立大学を大事にしないということは、
地域住民たちが、自らの文化を
蔑(ないがし)ろにしても構わないという、
その程度の次元でしか文化が成熟していない
ということの表れであり、
それは自分たちに向かって唾する行為に
他ならないということです。


しかも、その設置者である都道府県が、
「〈文化〉の自立=自律宣言」の前衛=橋頭堡に対して、
地域住民たちの先頭に立って関心を寄せることは
仕事としても、役割としても、
当然のことであると思います。