人間の条件について。
今日は基礎ゼミと4回生専門ゼミでした。
基礎ゼミでは学生さんの意見に触発されて、
新しい発見ができました。
人間であるということ、人間であることの条件、
それは人間がロボットやサイボーグや動物より
優れているとかそういうことではない。
逆である。
人間の条件とは
他者と関わるときの「傷つきやすさ」であり、
さらにまた、おそろしいほどの「不完全さ」であり、
それゆえにつねに変化し続けていく「儚さ」であるということです。
この点において人間は
たとえどんなに機械化された身体を持とうとサイボーグではなく、
人間の記憶もまた記憶装置に保存されたプログラムではないのです。
記憶とは、どうしようもなく哀しいことも、
どうしようもなく憎しみ合ったことも、
そして胸を焦がすほどに愛し合ったことも
忘れてしまう「忘却」も含みこんだ、
いつも揺れ動く動態的なものではないのでしょうか。
記憶とはとても柔らかなものであるような気がします。
そしてミスチルが歌うように
心さえ乾いてなければ どんな景色も宝石に変わる
そうしたものが人間の記憶ではないでしょうか?
20年ほど経ってようやく、
ダナ・ハラウェイたちの
『サイボーグ・フェミニズム』に対して
きっちりと向き合った批判が展開できるような気もします。
いや〜、ゼミや講義では、
学生さんに教えられることが多いので、
面白いです。
教えることは、そのまま教えられることではないのでしょうか?