講義やゼミで目指そうとしていること。

今日から後学期の基礎ゼミ、
4回生の専門ゼミが始まりました。


基礎ゼミは基礎ゼミ論文
4回生ゼミは卒論をそろそろ
本格的に書き始めることになります。



何度も書いていますが、
私が講義やゼミで目指そうとしているのは、
既成の知識を獲得することを
目標としたものではありません。
知識は方法や手段でしかないのです。



自分が生きるということ、
そのことに真剣に向き合いながら、
自分がどうしても
「なぜ?」「いかに?」「どうして?」と
問うてしまう、そんな問いを
不器用でもいいから誠実に、
しつこく考え続ける。
それは「オリジナリティ(独創性)」という
格好良くて、きれいなものではなく、
自分がこの世界に生きる限り
どうしても、その問いに
巻き込まれて(involvedされて)、
そこへと傾いていってしまうものなのです。
それを考えるために知識が必要なら
自分から、しっかり吸収し身につけ、
逆にそのことを考えることによって、もしかしたら、
既成の知識をぶっ壊すことになるのだとしたら、
そういう場合には、誠実に、きちんと敬意を払いながら
既成の知識をぶっ壊す。



そのことを私はみずからも、
学生さんにも求めようとしています。


世界中の人間が愚かだと言おうが、
そんな問いになど意味がないと言おうが、
自分がそう問わずには生きられないような問いを
問い続ける、ただそれだけでよいのです。

学問とはそのようなものでしかあり得ないと思っています。
その場合、ナンバーワンでもツーでも、
そんなことはどうでもよく、
オンリーワンであることだって、どうでもよいのです。
そんなことがあるとしても、
それは結果論に過ぎません。



それは、学問イメージや枠組をときに
逸脱することになるのかもしれません。
ですから、学生さんだけではなく研究者でも、
あるいはそれ以外の方でも、
そういうイメージや枠組から逸脱したくないという人には、
なかなか伝わりにくいときがあります。


私のやろうとしているのは、
ある種、既存の学問の体制・イメージそのものに対する
終わることのない戦い

なのかもしれません。
その場合、人との戦いなど
私にはまったく興味がなく、
あくまで学問をめぐる既存の体制・イメージ
に対する戦いをしようとしています。


そして、そのことに心から
共感してくれる人がいたとしたら、
そのとき、たとえその一瞬だけであっても、
見知らぬ人も、その人は
私の友になるのではないでしょうか?



最近、購入したCD。


君に届け

君に届け