地域創造学部における私の位置づけ。

奈良県立大学には、全国で唯一の地域創造学部があります。


地域創造学部における
私の位置づけとして、
地域創造の可能性でもなく、
はたまた地域創造の不可能性でもない
そういうものを考えることが
あるのではないかと
最近思うようになりました。


地域創造」というときの
「地域」とはそもそも
誰にとっての、どの時点での
どのような観点からの「地域」なのか?
(「定義」という、くだらねえ問題ではなく)
いや「地域なるもの」は果たして存在するのか?
存在するとすれば、それは、どのようにして
存在し得るものなのか?
地域アイデンティティとは一体何か?
ローカル/グローバルという区分は
いかにしてあり得るものとなるのか?
「創造」とはどういう事態なのか?
どうして「地域創造」が必要なのか?
「地域」を問題視するのはなぜなのか?
「地域」を問題視するのはいかなる事態なのか?
どのような社会的な背景のもとで
そうなっているのか?
そして、私たちはどういう方向へ
向かおうとするべきなのか?


そうしたことを、おさなごが問うように素直に、そしてしなやかに、
かつラディカルに問うていくこと、
可能性/不可能性を考える前に、
その「可能性/不可能性」の外部にある
ドロドロしたマグマ的なものを考察していくこと、
それが地域創造学部において
私という研究者に課せられている役割ではないでしょうか?


地域創造という実践に対して、
いきなり参加(アンガージュマン)するのではなく、
かと言って、そうすることが
不可能だと否定するのではなく、
可能性/不可能性という事態が生成することそのもの
地域創造」の生成それ自体にかかわる問題群を
真っ正面から(=ポジティブに)
とらえていくこと。
すなわち肯定的な否定性
あるいは否定的な肯定性
可能性と不可能性とがいまだ不可分離な
地域創造ということの生成性」を
問うことが私の役割だと思い始めました。



奈良だって、実は、
一つの奈良があるのではなく、
多様な利害関心による
政治的・社会的・文化的・経済的文脈のもとで、
複数の奈良が立ち上がり、
相互に干渉しあい、
消え去っていっているのです。