「物語そのもの」の喪失。

レポート採点続いています。


リオタールが言う、普遍的な「大きな物語」が
喪失するような社会状況において、
個々の分裂した「小さな物語」が
乱立するようになったと
私自身考えてきましたが、
大澤真幸さんと内海健さんの
現代思想』の対談などを読み
インスパイアされる中で、
もう少し議論を進めていく必要が
あるように思い始めてきました。


現代思想2011年2月号 うつ病新論 双極II型のメタサイコロジー

現代思想2011年2月号 うつ病新論 双極II型のメタサイコロジー


つまり「物語そのものの喪失」です。


現代社会において、「物語」の力が
失効しつつあるのではないかという気がしています。


物語なき、砂漠の世界。
それが現代社会において大きな位置を
占め始めているのではないでしょうか。


その時に私たちにできることは、
物語の回復ではなく、
物語そのものの喪失をつきぬけ、
外部へ向かうこと、
ただ、これだけではないでしょうか?


つまり、「遊びのための遊び」、
自己目的化した遊び、逆に言えば、
何の目的もない徹底した遊び、
それが示す「笑い」。
それは、『不思議の国のアリス』の
チェシャ猫のニタニタ笑いのような、
猫が消える中で残される笑いを超え、
とても抽象度高くねじれている社会状況を、
切り裂く笑い
、優しくあたたかな弾けるような強度のある哄笑、
そんなまっすぐな笑いとなるのではないでしょうか?
実はそれこそが、ポストモダンの徹底ではないかと思うのです。


バタイユ、カイヨワ、ベルクソン
このあたりにヒントがありそうな気が...。


うーむ。
・・・・・


抽象的なことをどんどん考え始めているのは、
採点で疲れているからかもしれません。
ちょっと休も。



最近、ご恵与頂いた本。



触発する社会学―現代日本の社会関係

触発する社会学―現代日本の社会関係


地域の産業・文化と観光まちづくり―創造性を育むツーリズム

地域の産業・文化と観光まちづくり―創造性を育むツーリズム



拝読させて頂くのが楽しみです。



そして、最近、購入した本。


未知なるものへの生成―ベルクソン生命哲学

未知なるものへの生成―ベルクソン生命哲学


社会調査史のリテラシー

社会調査史のリテラシー


自己の発見―社会学史のフロンティア―

自己の発見―社会学史のフロンティア―


「分裂病」の消滅―精神病理学を超えて

「分裂病」の消滅―精神病理学を超えて


うつ病論の現在─精緻な臨床をめざして

うつ病論の現在─精緻な臨床をめざして


思想地図β vol.1

思想地図β vol.1



ヘゲモニー・脱ヘゲモニー・友愛―市民社会の現代思想

ヘゲモニー・脱ヘゲモニー・友愛―市民社会の現代思想


だれが世界を翻訳するのか―アジア・アフリカの未来から

だれが世界を翻訳するのか―アジア・アフリカの未来から


「存在論的ひきこもり」論―わたしは「私」のために引きこもる

「存在論的ひきこもり」論―わたしは「私」のために引きこもる




内海健さんの本は、
現代思想の対談がむちゃくちゃ面白くて
社会分析に使えそうなので購入しました。