擬態する社会。

これまでのところ、採点450名分、終了です。
ようやく折り返し地点まで来ました。
ここで、締切が過ぎている、
原稿の校正にようやくとりかかることができました。
頑張れ、おれ。



人と人の関係においても、
地域づくりにおいても、
観光というもののあり方においても、
ポップカルチャーにおいても、
現代社会は「擬態する社会」に
なっているのではないでしょうか?


たとえばアジアとの新たな関係の構築を
と唱える場合にも、それは何かの擬態で
しかなくなっているように思うのです。


一国の行方にかかわるような、
ある重要な政治的な発言だってそうです。


多くの事柄が何かの擬態としてしか
機能していないように思うのです。


地域づくりもそうです。
「地域を良くしよう」という顔をしながら、
実は誰もその根拠など持ってはいない。
「地域を良くする」ということとは別の何かの
擬態の度合いを深めていっているように思います。


エコツーリズムも、「真正なる自然」という擬態を
提示しているのではないでしょうか?
グリーン・ツーリズムもそうです。
それは、「農村の真正なる暮らし」という擬態です。


ただこう言ったからといって、
注意すべきなのは、
こうした擬態にあって、
みんなが「嘘」を言おうと
しているのではないということです。
むしろ逆のことの方が多いように思います。
「嘘」や「方便」を言う人ももちろん多く存在しますが、
彼らは社会の擬態化において、
おそろしく手ひどいしっぺ返しをくらうか
擬態そのものに翻弄される場合が多いように思います。



みんなが真面目に、誠実に、真摯に、一所懸命に
そう思い定め、行動すればするほど、
ますます擬態化が進む。
そういう社会の中に私たちは生きているのかもしれません。





そういう社会の中で生きるための
実存の仕方として、大きく二つあるように思います。
一つは、「擬態する社会」の中で、
自分自身も精一杯、何かに擬態しながら生きることです。
もう一つは、そうした擬態の向こう側へつきぬけ、
優しくあたたかな弾けるような強度のある哄笑を
もたらすように生きることです。


私は実存の仕方としては、
後者を目指したいと思っています。
物語なき砂漠の世界にいても、
皆が大切な人と手をつなぎながら、
笑い弾けるような社会。
それは、まさしく
ユートピア(u-topia)」なのですが、
そのことを目指せたらと思います。


そのために、
遊びのユートピア
観光のユートピア
これが重要になっているように思います。



最近、購入した本。


フーコー思想の考古学

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近代日本の国際リゾート―一九三〇年代の国際観光ホテルを中心に

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まんがと図解でわかるニーチェ (別冊宝島) (別冊宝島 1729 スタディー)

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