大事なのは「一つになること」ではなく、「手をつなぐこと」。

幼い頃、夜寝るときに
母親がお話を読んでくれたあとで、
動物の村が好き?
鳥の村が好き?
と聞かれるたびに



こうもり



と頑固に言って、
母親を困らせていましたが、
それは今も基本的に変わっていません。


そんな、こうもりのようなやつでも、
ついつい動物や鳥の手をつなぐこともあるわけです。
動物や鳥とぎゅっと手をつないで、
強いまなざしを前に向けることもあったりもします。



ですから、こうもりにとって大事なのは、
一つになることではない。
手をつなぐことなんだ。
そう思います。


手をつなぐということは、
お互いが一つではなく
多様で違っているからできることなんだ。



得意なことも違う、いろんな違った考え方をする者どうしが、
その違いをあたかもないことにして一つになることではなく、
その違いをお互いが敬い
お互いの「存在が奏でる旋律」について
深く深く思い描きながら、
手をつないでいくことが大事なんだ。



こうもりにとっては、
一つになろう、ではなく、
手をつなごう、なのです。
それも、もしでき得るなら、
強く咲き誇る笑顔の花を
少しでもたくさん咲かせ、
そのもとで、ふと我にかえると
ついつい手をつないでしまっていること、
そして、たとえ手をつながない者がいても、
その人なりの旋律を感じようとすること、
これが大事なのではないのでしょうか?