存在が奏でる旋律。

「私」という存在は、
「あなた」とともに存在することで
奏でられる旋律である。



ベルクソンを読むことで何とかかんとか考えたのですが、
それはつねに変調し、メロディを変え流れていく、
差異の生成運動そのものである。



そして、それぞれの存在=旋律が
不協和音も鳴り響かせながら、
それでも、旋律の多様性ゆえに、
ほんの一瞬、奇跡のように
神々しいまでに美しいハーモニーを現出させる。



社会構想をめぐる私の考えは、
そういう一瞬への賭け(jeu)みたいなところにあります。



観光はその中で大切な役割を担うと思っています。