メディア批判へ。

今日の「社会学」は、メディアをテーマにした回です。


学生さんの振り返りで、
自分自身が何を問題にしようとしてきたのか、
さらにはっきりとしてきました。


私がずっとやろうとし続けているのは、
プラトン的な「真善美」に対する批判なのです。
すなわち、私が問題にしていた「真実」とは、
メディアのフィルターを通した「事実」ということ以上に、
ある種の“価値的なもの”を含んだ言葉です。
それはオーセンティックなものということです。



メディアは、何らかの価値をのせて、
私たちに、あるものこそ真善美なのだ、
オーセンティックなのだというメッセージを
送り続けているのではないか。
震災に関する一連の報道でもそうです。
そこから私たちは完璧に抜け出ることはできず、
私たちはメディアが織りなす「真善美」をめぐるメビウスの輪
(すなわちメディア的イデアとも言うべきもの)の上を歩き続けるしかないのだ。
(私などかなりのメディア好きですから)
それでも、私たちが歩くメビウスの輪の上でふいに他者と出会い、
他者との出会いによってもたらされるメディアのほころびを見出すときがある。
ここを基点にメディア批判が可能ではないか。



私が言いたかったのは、以上のようなことなのでしょう。
やっぱり学生さんとの相互作用のある講義は面白いです。