Under-Constructionism。

私にとって「地域創造学」とは、
永遠に未完成であるべきものです。


そもそも、ちゃんと体系化され、
完成された「地域創造学」なんて、
多分、楽しくないだろうなあと思います。
なんか、ごちゃごちゃしていて、
よう訳が分からん、
でもどこかしら挑発的というのが、
実はおそろしいくらいに大事で、
財産になるのではと考えています。


およそ学問なんて、
体系化され、完成されたとたん、
まったく面白くなくなるのではないでしょうか。
完成されてないということが、
完成されているときほど、
学問は面白いんやで。
そう思ってしまうのは、
社会学部生のときに、
嫌というほど、
社会学っていったい何するの?」と
聞かれるたびに、
「そんなん、答えられへんのが良いんや。
そんな問いに答えようとしてしまう自己を
ちゃんと、はねつけるところが良いんや」と
思っていたことと関係があるのかもしれません。



事実や意味を前提とせず、
それらを社会的プロセスの渦の中に投げ返し問い直していく
構築主義(Constructionism)」をもっと押し進め、
そうした問うている自らの地盤そのものもつねに問い直し、
新たに創り続けていくこと、
そうした「Under-Constructionism(“鋭意構築中”主義)」こそが、
地域創造学の真骨頂ではないのでしょうか?