「煽り」の物言い、「鎮め」の物言い。
最近ブログを読んでくれた友人からの反応であった
「煽りの文化」「鎮めの文化」という言葉を用いるのは面白いと思いました。
最近、新聞やビジネス書を読むと、
〇〇しなければ(すれば)、××します(しません)
という物言いが私だけかもしれませんが、
たまに目につきます(たとえばリーダーたるもの、〇〇でないと失敗する)。
〇〇しなければ(すれば)、××します(しません)
と
どうか、〇〇しないでください(してください)
とは、一見似ているようですが、
まったく異なるスタンスをもった物言いです。
〇〇しなければ(すれば)、××します(しません)は、
「煽りの物言い」です。
つまりケンカをふっかけようとする際に
基本となるのが、これです。
自分自身、中学・高校時代のことを思い出すと、
無茶苦茶よく分かります
(中高校時代、ちょっぴり、ぎすぎすしてました)。
〇〇という無理難題を最初にふっかけておいて、
さもなくば××ということで相手の出方を
こちら側のペースのみに封じ込めておき、
そのうえで、こちら側の言うことに屈するのか、
それともケンカを買うのかの二者択一を
無理矢理に迫る「煽り」です。
新聞やビジネス書で、
この物言いが多いことは、
いったい何なのか。
私たちは、真剣によく考えるべきではないでしょうか。
それに対して、
どうか、〇〇しないでください(してください)は、
相手に対する「希み」「願い」「祈り」を表明する物言いです。
この言葉を口にするときに人は、
相手を「煽り」立てることは決してできません。
逆に「鎮め」の中で相手の気持ちを感じとり、
相手の言葉を静かに聴き語り合うこと、
「あなたにもいろいろ言い分はあるけれど、
ここはまあまあ、どうか、どうか、こらえて下さい」
(関西風に言うと「ここはようよう堪忍したってくれますやろか?」)と、
人を鎮め調整すること、
それだけが大事になるはずです。
それは「鎮め」の物言いです。
「煽り」の物言いは、「煽り」の物言いしか引き出しません。
そういうやりとりの行き着く先は、一体どこなのでしょうか。
そのことを私たちはもう一度よく考え、
もう少し、「鎮め」の物言いを再度、
体得していく必要があるのではないでしょうか。
- 作者: 大村英昭
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