空間的に時間を簒奪する現代社会について。

「Pokémon GO」において、
ゲームをする人々は、
主体的に空間に「行く」のではないと思います。


人々は、プログラミングによって、
空間へと「駆り出されている」のです。


ということは、ポケモンを狩りゲットすることで、
他ならぬゲームをしている私たち自身が、
ゲームや、その背後にある産業群等によって
狩られゲットされているように思います。


モンスターボールポケモンを入れることで、
文化産業群のモンスターボールに吸収されていくのは、
私たち自身の生そのものなのではないでしょうか?


石田英敬さんが
『自分と未来のつくり方――情報産業社会を生きる』(岩波ジュニア新書)において、
ミヒャエル・エンデの『モモ』に登場する
「時間どろぼう」の話をひきながら、
メディアによる文化産業によって、
私たちがメディア・コンテンツに没入する時間を奪われ、
メディアやその背後にある産業群が要請する欲望を
創出されるように誘導されていることを指摘していました。


しかし現在の問題は、
メディアによる文化産業が、
観光産業も含めたモビリティをめぐる産業群と重なり合い、
空間的に時間を簒奪する(あるいは時間的に空間を簒奪する)方向へ
進みつつあるということではないでしょうか?


空間と絡めながら時間を簒奪し、
そのことによって同時に、
時間と絡めながら空間を簒奪する。
――こうしたことが様々に展開されつつあるのが現代社会である。


このことを、私たちはよく考えるべきときなのだと思います。