新たな幽霊化を必要とする時代なのだろうか?

「〜は文学か?」とか
「〜はアートか?」とか
「〜は高尚(低俗)な音楽か?」とか、
そんなのもう1960年代から
さんざんやってきたことでは?


近代が形成したきた「ジャンル」の融解は、
かなり以前から始まっていたことなのに、
それを「あえて」蒸し返すのは、
いかなる社会的欲望のもとに行われているのか?


問うべきは、そのあたりにあるのでは?


マルクスが『ブリュメール18日』で言ったように、
私たちの時代は、
幽霊(すでに以前にあったこと)を呼び戻し、消費し、
新たに幽霊化するという、
再帰的なドライブ(内燃機関)を抱え込む時代ではないだろうか?


ただし現代はマルクスの時代と違って、
「一度目は悲劇、二度目は喜劇」
として現れるのではなく、
「自分たちの一度目の記憶を忘れて、何度もリピートして」
現れるようになっているのかもしれません。