政治家は識見が大切。

今日は奥さんと選挙に行ってきました。


当たり前のことですが、
奥さんと
誰に投票したか、
どこの党に投票したか、
なんて言い合いません。


ところで開票が始まったので書きますと、
私は、小泉さんのやっていることについては「?」の部分が多いのですけれど。


大体、女性を連れてきたら票を獲得できるかもなんて、
さもしいこと考えるんじゃねぇ!
女性をバカにしているんじゃねぇのか?


それ以上に、
小泉さんの「郵政民営化ができないと改革ができない」という言葉を聞いて、
「あんたは、駄々っ子か?」と私は思ってしまいました。
「〜がないと遊べない」というのとロジックとしては同じではないのかな?


「政治家としては、そうじゃないでしょう」と思うのです。
「たとえ郵政民営化できなくても、〜の改革はする」とか、
「形を変えても、その道筋を変えても、必ず郵政民営化に到達する」
というのが政治家のすがただと思うのですけれど。


あと郵政民営化なんて、
小泉さんではなくて、官僚の人が考え、計画し、進めたことで、その点では小泉さんは政治家としてリーダーシップを発揮しているわけではないと思うのですけれど...。


堺屋太一さんによると、官庁には財務省や外務省といった国家権力の中枢をにぎる官庁の他に、経済産業省農林水産省のかなりの部局で見られるような、コンサルタント的な役割を果たす「調整官庁」があります。

さらに、その他に、総務省の中の一部が担っている情報通信事業、郵政事業、また国土交通省の一部が担っている道路公団事業、文部科学省のいくつかの事業をはじめとした「事業官庁」といったものがあります。


これについては、堺屋太一さんの『歴史からの発想』(p.173-175)をご覧下さい。



この「事業官庁」の仕事は民間企業や独立法人でもできることがあり、それらをできる限り民営化したり独立法人化したりして、行政官庁をスリム化しようと官僚の人たちはしてきたと思うのです。その中で、「郵政民営化」も出てきたのではないでしょうか?

だから、これって、別に小泉さんがやり始めたことではありません。そうではなくて、ずっと官僚の人たちが積み重ねてきたことで、小泉さんはそれにのっかっているだけです。


郵政民営化」も、「道路公団の改革」も、「国公立大学の法人化」も、ある意味では同じ流れの中にあります。そして、これをしなければ、十年後、二十年後の日本が財政的にもまずいという認識があるのだと思います。


その意味で、こういう流れは仕方ないと私自身は思います。「国公立大学の法人化」も含めてね。

でもね。
実は大切なのは、その中身なんですよ。


そこを小泉さんは政治家としての識見がどうなのかを問うべきだったと思いますよ。
官僚の後追いじゃ、政治家の名が泣きますよ。
リーダーシップというなら、駄々っ子みたいなリーダーシップではなくて、官僚から独立して、官僚を引っ張っていけるリーダーシップを一政治家として発揮すべきでは?


郵政民営化しないとダメなんです」
と言ったって、
そんなん当たり前やん。


じゃあ、どういう形で青写真を描くの?
これを言うべきだと思います。


大学の法人化もそう。
どんな形でも法人化すれば良いわけではないでしょう。
ある形なら賛成。でも、ここは反対。
そこで意見の対立が生まれるのは当然で、
大人の社会では、そういう意見の対立を
きちんと辛抱強く聞くことが大切だと思いますよ。
そういう理性的な討議、理性的な議論をするのが民主主義でしょ。
自分だけではなく、
相手にも理性的な振る舞いを毅然と求めながらね。


外交にしたって、
対米外交だけやったらダメなのでは?


外務省の官僚の仕事にのっかるだけでなくて、
ちゃんと自分で勉強して、アジア外交の独立した識見を持つべきだと思います。


靖国神社参拝は他の国からとやかく言われることのないもので、それを言うのは内政干渉だ」なんて、アジア外交勉強してて、政治家が本気で言えるわけないのでは?


「私(あるいは、わが国)の自由でしょ」で済まないはずなのだけれど。
歴史の背景からしても、そこをはずして外交戦略的な意味でも。


自由って、他者によって束縛されたり、それを議論して調整したり、他者から支援されたり、そんな他者との誠実で真摯な関わりの中で生まれるんだ!
そうじゃない自由は、「手前勝手」と言うんだよ!


中曽根さんが靖国参拝しても、
今ほどアジア諸国から総スカン食わなかったのは、
他国と議論し、きちんと調整していたからでは?
中曽根さんの思想の善し悪しは別にして、
小泉さんも参拝したければ、
それくらい勉強して、識見もって、地道な調整を重ねてからやれよ
と思ってしまいます。


靖国参拝の問題は、でも、
もっと、それぞれが考えるべきなのでしょうけれど。


自民が変に圧勝したなんてテレビで見ると、
やっぱり近代は未完のプロジェクトやなあ、と
ときどき、ハーバーマスが乗り移ってしまう私...。
別に自民が嫌いというわけではなく(政治家として優れた識見を持っている人もたくさんいると思いますので)、自民が「圧勝する」ということが「う〜む」と思ってしまいます。


ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)

ハーバーマス (現代思想の冒険者たちSelect)

コミュニケーション行為(Kommunikatives Handeln)
人間には暴力・抑圧に支配されず対話を交わし、相互理解に到達するコミュニケーション的理性の力が与えられている。近代社会は、人間が初めて宗教や因習などの非理性的な力を脱し、民主的な原理が一人立ちした時代である。だが同時にシステムの力も強大となり、計算・支配する思考、そこから生じる人間疎外も強固になり、コミュニケーション的理性の可能性は十分に実現していない。ハーバーマスはあくまでも人間のコミュニケーションへの信頼を保とうとする。相互の平等な対話によって支えられた合理性の実現こそが真の秩序を生み出す。
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でも僕が持っている人間のイメージとしては、ハーバーマスみたいなんじゃなくて、何か、もっと陰翳があって柔らかくて、ふわっとしているんだけれど。