あるセリフ。

昔から結構言われていたセリフで、
今も大学院希望の学部生や大学院生に対して、
大学の先生の「一部」(本当にほんの一部なのですが)から
不用意に発せられるセリフがある。


君、研究者に向いていないんじゃないの?


というセリフだ。


このセリフを脇で聞いたり、
学部の学生さんや大学院生の人たちが泣いているのを聞くたびに、
自分の中で
怒りの炎がぼうっと燃え上がるのが分かる。
(同時に私のアタマの中では、懸命な消火活動が始まります)


こういうことを言う大学教員のアタマの構造が分からない。
もうちょっと教育者としての自覚を持ったらどうだ!
と思うのです。


研究者に向いているか向いていないか。
そんなことは、その本人が決めるさ!
たとえば私が「彼(彼女)、研究者に向いていないのでは?」
と思ったところで、
その人がどう化けるかなんて、
その人本人にも分かりはしない。
ましてや、教員が分かるわけねぇじゃねえか!!!


人は変わるし、
成長するんだ。


どう変わるのか、
どの程度、成長するのか、
分かるものか!


だから、
それを見るのが楽しみで、
教育するんじゃねぇのか?


人は化けるんだ。


もしかしたら、すごい研究者として名を残すかもしれない。
そんな可能性を秘めているんだ。


それを信じられないのなら、
そのときには
教壇に立つんじゃねえ!!!



それを無責任にも
「研究者に向いていないんじゃないの?」
と言うっていうのは、どうなんだろう?


誰にも分かるわけない将来のことを
根拠なく主張するのを
何て言うか知っている?


そういうのを「予言者」って言うんだよ。
そういう人は、「科学者」「研究者」ではない。


The Logic of Science in Sociology

The Logic of Science in Sociology


を読んでください。


「研究者」が「教育者」として、
その本人に言えるとしたら、


あなた、ここが(あるいは全部が、でも良いけど)勉強不足ですよ。
こうしたら、もっと良くなると僕は思うよ。


だろ?


それしかないんじゃねえのか?