多様な声が鳴り響く場へ。

昨日まで二日ほど、夏バテでした。
今日くらいから、かなり復活してきています。


復活すると、またいろいろと考えが浮かびます。



大学についてですが、
大学は一枚岩になってはいけないと
私は思います。
それが、大学に対する私の理念、哲学だったりします。



大学は多様な声が鳴り響く場であるべきです。
教育と経営。
教育と研究。
普遍的なものと個別的なもの。
グローバルなものとローカルなもの。
理論と実証。
理論と実践。
抽象的なものと具体的なもの。
原理論的なものと応用科学的なもの。
などなど・・・・・。




これらのどちらかに偏って、
一枚岩になっても、面白くない。


面白くなければ、大学じゃない。


独断的大学論―面白くなければ大学ではない!

独断的大学論―面白くなければ大学ではない!


大学を面白いものにするためには、
多様な声が鳴り響き、
それぞれの声が交差しスパークする、
そんな場にしていかないといけません。
(もちろん、これはお互いを
なあなあで適当に許し合うこととは違います。)



応用科学的なものも、
原理論的なものも、
抽象的なものも、
具体的なものも、
グローバルなものも、
ローカルなものも、
それぞれが、あちこちで交差しながら面白い試みをする。
「おお、面白いやん!」と
あちこちで振り向く人がでてくる。



学びとは、遊びと別物ではありません。
その意味で、大学は、いろいろなものが飛び出してくる
「ワンダーランド」であるべきなのです。
(「大学=ワンダーランド」論)



ある人が、どこかの会議で言っていたように、

ぼかぁ、時代遅れの人間だから

なんて居直ってたらダメですよ。



相互の声に敬意をはらいつつ、
マジで向き合うべきなのです。