大学運営のあり方と教育のあり方について思うこと。

前にも書いたように、
現在の学長は非常に穏やかで、
しかも多数決で挙手することを
どんな場合にしてはならないか、
その危うさなどをしっかりと認識されておられます。


そういう点で希有な人徳者だと思います。




しかし私にはまだまだ、そこまで人徳が備わっていないので、
ついついトップダウンで私が一人で即決できたら、
どんなに早くて良いだろうなあ、
なんて悪いことをかんがえてしまいます。



もし、トップダウンできる権限があったら、
10年くらい先の青写真を描いておいて、
即決できるのに。
(この文型は仮定法ですね)



いやいや、
いかんぞ!
そんなことでは、
みなさんに協力して頂けないぞ!



しかし、
このスピードの要求される時代に、
じっくりと、みんなで考えているゆとりは...。
スピードが遅いと、色々な形で下手に、
外部からの影響をこうむって、
大学がみずからの研究・教育理念を貫くことができなくなります。
みずからの研究・教育理念を守るためにこそ、
スピードは大切のはず。



でも、
いやいや、大学は企業ではないのだし、
合議的に物事を考えていく必要があるのだから、
やはり、そうしないと...。
もし大学が連綿と培ってきた合議的な部分がなくなったら、
大学はみずからの教育のあり方を
違う方向へ変えてしまうかもしれません。



って、
どないやねん!


でも、その「どないやねん」のあたり、
実はこれからの具体的な大学運営で、
わりと大事なところのような気がします。



と言いながら、トップダウンする権限なんて
私は当然ですが、学長にもありません。
そこが大学という組織の
良さでもあり、悪さでもあります。




あと別の話になりますが、
これもある会議をきっかけに考えたのですが、
大学はサービス産業の企業ではないと私は思っています。
だから学生さんは「お客様」ではありません。
学生さんは、大切な「学生さん」。
大学で「サービス」ではなく
しっかりとした「教育」を受ける権利を有するのが「学生さん」ですね。
だからこそ「学生さん」と私は言うのです。


もしサービス業だったら、彼らのことをちゃんと
「お客様」と言わないといけませんよ。
学生さんに、「○○くん」とか「○○さん」とか
呼びかけますが、そんなこと言っていたらダメですよ。
一人一人に「お客さま」と呼びかけないと。
(そんな呼びかけしたら、
私もですが、学生さんも、
とても嫌な顔するだろうな)
でも、それは絶対に違いますが、
それは何故か。


それは、彼らが「お客様」ではなく、
私にとって、一人一人が顔の見える、かけがえのない「学生さん」だからです。


でもお給料などお金をもらっているでしょうとたまに言われますが、
だってボランティアでやっているわけではないのだから、
お金はもらいます。
しかしお金をもらう=企業、ではありません。
私たちスタッフもきちんとした生活が確保できないといけませんからね。
それができての教育ですからね。
学生さんはお金をはこんでくれる「お客さま」でもないし、
大学にとって売りにだすための「商品」でも「財」でもありません。
あくまで「教育」をうける「人」であって、
教育は「人」を育てているのです。


かつて、ある人が(私の勤務校の教員ではありませんが)、
「石はどこまでいっても石でしょう。
だから教育で人は変わらないし、育ちませんよ」
と言っていて、私とちょっと言い争いになったことがあります。
その時に私が言ったのは、
「石をダイヤモンドにできないのなら、教育じゃねえ!」
ということです。
今でも、その考えは変わっていません。
教育はある意味、祈りに似た錬金術なんだ。



人が育ち成長する。そして変わっていく。
その可能性を祈るように信じられないのなら、
教壇に立つんじゃねえ!
と今でも思っています。



だから大学はサービスを提供している企業ではなく、
あくまで教育・研究を行っている機関ですね。