見えない大学(アカデミア)。

「知」は今後、ネットワーク化すべきではないでしょうか?
とくに地域社会の中で、「知」のネットワーク化を
一層進めていくべきだと思うのです。


大学という組織が単体で「知」を
展開しようとするのではなく、
多様な専門性をもった大学同士が繋がり合い、
多様な「知」を繋げていき、
それによって、新たな「知」の地平を切りひらく。
こうしたことが大切になるのではないでしょうか?



たとえば奈良県でも、
鹿一つとってみても、
そうだと思うのです。



奈良県の鹿を学び、研究するためには、
多様な「知」が必要になります。
鹿ですから、動物学や生物学が必要になるでしょう。
しかし、それだけではなく、
鹿は神様の使いですから、
宗教学や民俗学なども必要になるはずです。
また鹿を扱った文学もありますし、
近年では『鹿男あをによし』が放映され、
メディア論やサブカルチャー論も必要になります。



これらの多様な「知」を
地域社会の中で繋げていくこと、
その結節点として大学が役割を果たしていくこと、
そういうものを考えていかなくてはならないのではないでしょうか?


大学という組織は組織で残しながら、
「知」の緩やかなネットワーク化をはかり、
地域社会に見えない大学
(「文化」という知のつながり:アカデミア)を創りだし、
これを社会の中に根づかせていくこと、
それが大学論として私の現在考えていることです。



目先の経済的利益や政治的影響力ではなく、
鎌倉アカデミア以上に
文化が地域社会にしっかりと根をはり、
根をはった文化が力をつけて
社会の様々な側面に波及していく、
そのようなものを、
組織としてではなく、見えない大学として、
地域社会で創りたいのです。