忘却の社会理論。

公開講座でご質問頂いたことについて、
けっこう、ずっと考えています。


ちょっと思い始めたのは、
忘却の大切さです。


確かに私たちは大切な愛する人
忘れたくないと思います。
また憎しみぬいた他者を
なかなか忘れることもできません。


この社会も忘れることに
負の価値を持たせているように思います。


子どもにも
「ちゃんと覚えておきなさい」
「しっかりと心に刻みなさい」
と言いますが、
「上手に忘れなさい」
「心をそっとなでて忘れなさい」
と言うことはありません。


しかし実は私たちの社会において、
忘却はとても大切なことなのではないでしょうか。


決して忘れたくない、
本当に心から愛していた人の顔も、
時が経てば、一生懸命に思い出さないと
思い出せなくなる。


あれほど怖かったことでも、
う〜ん
と頑張らなければ
そのときの恐怖が
心に再現できなくなる。


そして、道ばたで散歩しているときに
ふと香ってきた夏草の匂いや
花火の音を聞いて、
一緒に花火をかつて見たときの、
特別な瞬間でも何でもない、
本当に何気ない会話の中で見た、
愛していた人の顔を
「あ〜」と、ぱっと思い出すことができる。
でも、それが、だんだん少なくなる。


それは、とてもせつないことですが、
私たちが他者と生きていくうえで
とても大切なことだと思うのです。


他者と共存するうえで、
この「忘却」は重要となるような気がします。


「忘却」に目を向けた社会理論を構想すること、
これが近代社会を乗り越えるうえで
何らかのポイントになるのかもしれないと思っています。
でももう少し、時間をかけて
考えてみます。