「私の」学生じゃなくて、「彼ら自身の」学生。

ネットでヤフー「みんなのアンテナ」を見ていたら、


彼女の鼻に鼻毛が...。
あなたならどうする?


っていう記事がありましたが、
別にいいやん。


もちろん、すごい感じだったら嫌だけど、
ちょっとした鼻毛だったら、
かわいいじゃない。
優しく言って、二人でちょっと笑って、あとはおしまいだよ。
それに自分自身だって
そんなにいつも完璧な身なりじゃないでしょう。


そんなこんなを含めても、
好きって言える存在こそが
大切なのではないでしょうか?



話はかわって、
ちょっと気になったこと。


自分のゼミに所属する学生さんのことを
「私の学生」とおっしゃる先生が
勤務先に限らず他の大学でもいますが、
その表現が気になりました。



遠藤ゼミに所属する学生さんを
「私の学生」なんて私は思いません。
なんで「私の」なんて、
あんたの所有格で語られないといけないのかって、
彼らがみんな怒りますよ。
みんな、すげえ個性派ぞろいだからな。


もちろん遠藤ゼミに所属して、
ずっとその学生さんを見続けてきたという意味では、
いろいろ特別な想いがたくさんつまっている
大切に思っている学生さんであるのは確かです。



しかし、学生さんは自分自身が大学のなかで
学問、友人関係、いろいろな活動など、
たくさんのことを主体的に学ぶのであって、
別に「私の」学生というちっぽけな存在じゃなくて、
「彼ら自身の」学生だよ。



もしどうしても「私の学生」と言わなくてはならないのなら、
奈良県立大学の学生さん全員が「私の学生」だし、
自分が非常勤で教鞭をとっているときは
そこの学生さんが「私の学生」だよ。



学生さんにもそう言っているはずです。
もしゼミに所属していなくても、
あなたが奈良県立大学の学生さんであるなら、
あるいは私の講義を聞いて頂いているなら、
あるいは本を読んだだけでも私の展開する学問に惹かれているなら、
あなたは私にとって大切な学生さんです。



まして自分のゼミに所属しているなら、
そこが第一希望かどうかなんて、
まったく関係ねえことだろう。
そんなことを考える気持ちが
まったく私には分からねえ。
どういう意味なんだ?????



奥さんは
「あなたには、そういう気持ちは
一生分からないでしょうねえ」と
あきらめたように首をふっていました。



ん???
なぜ?
どういうこと??
どういう意味なの???