あの、その評価はいかがなものでしょう?

私の著書をお読み頂いて、
amazonで評価をして頂くのは、
有り難いのですが、



社会学の説明が長ったらしい



という評価はいかがなものでしょう?



ガイドブック的! 観光社会学の歩き方

ガイドブック的! 観光社会学の歩き方


あの、一応、
観光社会学の読み物でテキストなのですよお。


やっぱり、観光ガイドよりも、
観光地を社会学的に分析した部分や、
社会学の説明が一番長いのは仕方ないと思いますよ。



社会学の読み物やテキストに、
社会学のこと、いっぱい書いてあるからよくない?
う〜ん、それ言われちゃうとなあ。
って、それは、そもそも評価なのでしょうか?


やっぱり、著者としては
きちんと「評価」や「批判」をしてほしいわけで、
ほとんど「言いがかり」のようなものを書かれても。


「批判」して下さるのは構いません。
むしろ、それを望んでいるくらいです。
しかし、批判のときには、
少なくともちゃんと相手を「理解」「評価」
してからにしてもらいたいと思います。
きちんと相手を「理解」しようと努力し、
真剣に「評価」(真剣なら高い評価でも低い評価でもかまいません)したうえで、
さらに、<よりポジティブなものを生み出すために>
「批判」という作業は行われるべきではないでしょうか。



前も書いたように、
批判(critic)とは、自分の身も切られることを覚悟して、
批判の対象と切り結び、
切り結ぶことから生じる刃の火花から
新たにポジティブなものを創造する行為に他ならない。
新たにポジティブなものを
自分自身が批判する相手との真剣試合において
創造する責任を負うものです。
その際には、当然、批判した対象に対する
何らかのリスペクトに支えられているべきです。


自分は安全地帯にいて、
みずからの何かを
何も賭金にしていないような批判は、
批判とは言えないのです。


私に対するもので、
その意味で「批判」だと
私が思い尊敬の念を抱いているものの例として、
本学研究季報『地域創造学研究』に出る予定の、
Yas先生による拙稿に対する問いかけを挙げておきたいと思います。
掲載されたら、ぜひご一読下さい。